無主張無責任虚構神話

まるでポケットから取り出すような手軽さでキミヤは宇宙を作った。宇宙はキミヤの手を離れた瞬間から、僕らの認識する宇宙の体を成していた。はじめから、太陽も地球も多種多様な生物も文明も、ありとあらゆるものが完成されて宇宙は登場したのだ。こんなことを言うと歴史を否定しているように思われるかもしれないけど、そうじゃない。布地を織り成す糸のように繊細で複雑な歴史さえも創造の瞬間から既に存在していたんだ。キミヤが何者かと言われると僕はわからない。それ(キミヤのことだ)は神であると言われればそうかもしれないし、人であると言われればそれもまた否定はできない。

とにかく僕はキミヤが宇宙をこの世に手放すところをこの目で見た。だから、宇宙はキミヤの手から生まれたということは間違いない。しかし、不可解なのは、僕はただの人間だということだ。キミヤが作り出した宇宙に生まれたはずの僕がどうして、その宇宙誕生の瞬間に立ち会えたのだろう。

 

キミヤの居場所はこの世の全てだ。宇宙の外側と内側。キミヤは太陽と隣り合う大いなる存在で、海に浮かぶ島で、誰かの目に映る光で、晩ご飯の香りで、窓から吹き込む風の柔らかさで、キミヤは電車の吊り革に付着している。

幼い子供のまっさらな頭を撫でたときの、どんなに遠い出来事でも思い起こすことのできる、けがれのない感触はキミヤだ。「もう、飽きたよ」とキミヤは僕にわかる言葉で話すけど、その意味は僕にはわからない。たぶん、僕は、僕らは(今は「キミヤ」と名付けられた)それに、名前を付けることが憚られたのだろう。もし、今この瞬間に世界がキミヤの存在を否定したら、忘れたら、黙殺したら、キミヤは甘んじて受け入れて、その存在を広大な夜の中に溶かしてしまうだろう。それから二度とキミヤは現れないし、もう誰の気持ちも侵害しない。

僕らが呼びかけたとしても、キミヤは答えない。もうすでにキミヤはどこにもいないんだ。