ここに書くことちゃうんかもやけど

あれからどれくらいの日々が過ぎた

「人生は旅だ」......そんなのは嘘だ。

俺は何処にも行けないじゃないか

流れるベルトコンベアの上で

日々を滑らせ運んで行くよ

部品を作る部品になった

身近で容易い欲に溺れた

 

なぁ、あれからどれくらいの日々が過ぎた?

俺は朝4時に起きて会社に行ったり、酒も飲んでないのに終電乗って家へ帰る日もある。

仕事をして、一歩ずつ「普通」や「一般」を受け入れて、思い描いた自分から離れていくことを良いことだと思うようになった。

東京に出ることは夢を追うことやと、誰かが言ってて、あの日俺もそう思っててんけど、それはちゃうかったな、夢を叶えた人間を身近に感じて、その差を受け入れて。東京は背負った夢の荷物を床に下ろす場所やった。

東京の光は、それを追いきれなかった人たちの夢でできてて、それがプチプチと光って、朝になったら消えてーーーーーー。

 

いや、ごめん、全然嘘。

めっちゃ夢を諦める人の感じ出してたけど全然嘘。

全然諦めてないし、まだパソコンにかじりついて「俺には才能がないんやー」って言ってる。だから、まだ俺は書ける。

 

昨日、寝るときに考えた。俺はあんたの特別やったんかなって、俺はあんたに何をしたんやろうなって。たぶん、特別とは違くて、でも心の中にあのとき、はずっとあって、いろんなことを忘れていっても、それだけはずっとそこに置いてあって、そうやってこれからも生きていければいいかなって。

 

俺は気恥ずかしくて、いつまでも子供で、自分の言葉もままならへん、こんなんで作家になりたいだなんて、おこがましい人間やねんけど、もしかしたらもうあんたが聴いてない、もう聴きたくないかもしらん歌の歌詞を借りて、いつまでも実直な言葉なんて吐けない、何の現実とも向き合えない、言葉を尽くして自分を卑下することに優越感を抱く最低な人間やねんけど、それでもいいかなって、どんなんでもいいかもなって。

 

これは深夜テンションをぐつぐつ煮込んでできた早朝テンションやねんけど、俺は朝が怖くなくなった。夜寝てその日を終わらせることが怖くなくなったよ。今もなんとしっかり寝て起きてこれを書いている。だから今はもう、一日のはじまり。

あのときが終わることが怖くなくなったよ。

いや、何年経ってんねんてな、どれくらいの日々が過ぎた?ちゃうねん。でも、毎日でも想ってやまへん。

 

あんたとのことを思い出すと俺はなぜか、俺の実家のマンションのベランダから見える景色を思い出す。それはきっとたまに帰った実家で、夜、こっそりとベランダに出て、煙草を吸いながらあんたと電話したからやろう。あのときは俺の家族関係はあまりよくなくて、まぁ、今もそんないい方ちゃうけど、とにかく家族の寝る実家が俺の家というより親の家、という感じがして、余計に居心地がよくなかった。ここに我が物顔で居座るのはどうも違う気がした。俺は外に出て、外の繋がりを大切にしたかった。

都会かと言われれば全然違う、でも、あんたの地元みたいに、山とか、透き通るほど仲のよい友達関係とか、夜に任せ自転車をふらつかせて行ける楽しい場所もない。ただ、田んぼとため池の向こうに海が見えて、瀬戸内海に当たり前の顔をして淡路島が寝そべっているだけ。夜の下にそれらがしんと静まり返っていて、視線を動かすとたまに、きらびやかでない、誰かの存在を示すだけのライトが、小さな声でここにおるでと主張している。

そんななかで俺も、家族が起きへん程度の小さい声で電話の向こうのあんたに「ここにおるで」って言っててんな。そうさせてくれてありがとうと言わして。

 

空が白みだして、俺の部屋の窓からは空とか景色とかがちゃんと見えるわけじゃなく、向かいの家が見えます。こっちに来たときに急ごしらえで買った、百均で二枚五百円のカーテンはそのまま俺の部屋の窓にかかってて、それは薄すぎて、夜は向かいの家族と窓越しに目が合わないか不安になります。体を起こして改めて見るとその向かいの家の屋根の向こうに小さく空が見えます。あのころは家事なんもできんかった俺も、今日は天気がええから洗濯をしようと考えるようになったんよ。部屋干しやけど。

 

あんたの為に書いてた文章はもうおしまいで、あんたの目を通して見たいと思ってた世界を、やっと、俺は俺の目で見るよ。だから安心して、なんも心配なんかしてないかもやけど、とにかく安心して。大丈夫。俺は、俺たちは無敵で、それだけは変わらず、ずっとあの頃のまま。

 

秋めいて、ゆるゆるの涼しさが、すとんと本調子の寒さになるから薄い布団はかぶって寝てください。泣いても涙が落ちるのに従って心まで真下に落とさないように気を付けてください。

 

おめでとう!まだ早いんかもやけど、それでもおめでとう!

 

おわり