さらば、夜明けよ

「照ちゃんは、僕が辛いときにだけ僕のそばにいてくれたらそれでいいよ」と言ったら、照美は、右手に持っていた買い物袋を、わざわざ左手に持ち替え、空いた右の掌で僕の頬をぶった。ぶたれたところが熱くなって、目に涙、鼻に鼻水が溜まってくる。

僕は涙をたたえた熱っぽい目で彼女の方を見たけど、僕が照美を愛したことは一度もなかった。だから、彼女の鼻が僕のよりも赤くなっていくのに、僕は何も思わなかった。

照美は絶対に泣くまいとしているのだろう、瞳の奥まで来た涙を堰き止めるため必死に鼻をすすっている。

「祐也は私のことを何も見てくれてなかったんね」

彼女の言う「祐也」とは、きっと僕のことではない。僕はクズだけど、最低の男ではないと思う。僕は「それは照ちゃんも同じだよ」と言いかけて、辞めた。

僕らは成り行きでこうなった。

 

照美の目から涙が落ちて、彼女は買い物袋を放り投げて、どこかへ行ってしまった。

アスファルトにぶつかった買い物袋の中の、六つ入りの卵が全て割れてパックの中から溢れそうになっている。

僕らの体に流れる血液は一滴たりとも大人にならない。大人にならない僕らのまま、何かが変わると信じたまま、日常だけが進んでいく。

二人分の買い物袋を一人で提げても、二人分の重みなんて感じることはできない。

 

家に帰った僕は割れた卵を全部使って大きなオムレツを作った。我ながら上手くできて驚いた。僕には自炊の才能があるのかもしれない。

皿に盛り付けて、テーブルに置くと、変だな、目の前のオムレツが遠くにあるように見えた。疲れたんだろう。ひとりにしては大きなオムレツ。ひとりにしては広い部屋。ひとりに不釣り合いな感傷。

ふわふわの生地の上に滴が落ちて、僕は自分が泣いていることに初めて気がついた。