すごく昔の話(昔に書いたやつ)

  イクチオステガは悩んでいた。 

  生命とは海で生まれたものであり、彼の父も祖父も魚として、水の中で生命を全うした。彼らは海の生態系のトップであり、なに不自由なく生きた。 

  父が死んだ時、彼は新しい世界を見たいと望んだ。強く望んだ。すると、水をかくことで精一杯だったヒレが地面を押す足になり、肺で呼吸をすることができるようになった。 

  息というのは不思議だと彼は思う。空気を吸うと肺が満たされ、それが自分の生命を維持するのだ。自らの意思で息を吸ったり止めたりできる。エラを使っていた頃はこんな感覚はなかった。 

  しかし、彼は地上で生きることのできる体を手に入れた今でも、水の中が恋しかった。 

自ら望んだことなのに、一歩先は数キロ先に感じ、明日の自分なんて見えなかった。 

  涙が出ることを知って、たくさん泣いた。 

  涙は地面に溶け出し、消える。それを繰り返して長い時間が経ち、前足の麓に水たまりができた。 

  月明かりの元で獣にも魚にもなりそこなった姿がこっちを向いて嗚咽を漏らしているのがなんだか滑稽で笑える。 

  イクチオステガは思った。 

  あぁ、オレは誰でもないんだ。 


  彼は息を止めた。自分の意思で。 

  水をかく為ではない足を必死に蹴る。 

  もう、涙が出ているのかもわからなかった。 

  そして、海の深い深いところまで潜っていった。 

コピーアンドペーストの成れの果て

まだ、生きている

照明が当たる場所と

それによってできた影の部分を

行きつ戻りつしながら

人生は壮絶かしらと

唱え

私は口笛など吹かない

そんな虚さ加減など知らない

しかし、まだ、生きている

 

舞台は閃光だ

ロウソクの火は明かりでなく

焼けた眼差しだ

盲目のあの人が

私を轢き殺す

ころんと落ちた私の目玉を

人々は見る

 

世界に意味はなく

意味を求める己を背負い

まだ、生きている

バンブッ

1

僕たちは小学校一年生の時に出会った。
当時、僕のクラスに森本という奴がいて、こいつが馬鹿でチビでメガネで冴えない奴だった。僕はその森本と毎日一緒に帰っていて、ある日森本が連れてきたのが竹本だった。
僕と森本は一組で竹本は二組だったが、僕たちはすぐに気があうとわかって一日の大半を共に過ごすようになった。
僕はその時、完全学校服従人間(児童)だった(真面目だったのではなくただボンヤリとしていただけ)から授業をサボったりはしなかったが、放課後になり学校から解放されると、皆が帰ったあとの教室に三人で残ったり、寄り道して暗くなっても帰らず親に大目玉を食らったこともあった。
森本はメガネで竹本もメガネで僕はデブで、当時、そんなカーストがあったのかはわからないが、少なくとも学校のランクでは下の方にいたと思う。だけど僕たちは楽しくて毎日バカ笑いを顔に描いて生きていた。

モサくて、アニメで見た(僕は家でアニメを観れなかったから彼らから口頭でアニメの内容を教えてもらっていた)キャラクターの台詞を急に叫んだりしているような小学生(最近はこのような子供も減りましたね)だったけど周りの目なんか気にしなかった。少なくとも当時は。

シンナー

空気の中を波紋が走って揺れる。振動が伝わって肌から体内に入り込み、胸の奥の熱っぽいところを打ち鳴らす。小刻みに震える音と、抑揚のある音が混じり、音楽が出来ていた。人々は酔っ払ったように音に乗り、恍惚とした顔を演奏者に向ける。
JR神戸線の高架下、大阪駅前の信号のすぐ横に、男が露店を開くかのように機材と男の名前とツイッターのアカウントが入った立て看板を広げていた。路上ライブだ。
大阪は路上ライブをする者が多く、警察の取り締まりも厳しかったが、それでも路上ライブはなくならなかった。人々は音楽に飢え、音楽を渇望していたのだ。夜が来ると共に演奏者は現れ、その周りには人だかりができた。
その男はベースを叩いていた。鋭いスラップサウンドが冬の乾燥した空気を刺し、地に落ちた低音が足元を走り抜ける。
赤信号で立ち止まった人がその音色につられ、男の方を見る。オレもそのひとりだった。
ベースを弾いている強面の男はゴツいピアスで耳たぶに大きな穴を開けているが、誰もそんなところは見ていない。奏でるものが彼の顔であり、彼の全てだった。
スラップが終わると、男はビールを一口飲み、今度は零れた音色を拾い集めるかのように弦を指で弾き始めた。音は男の体を回り、指先から生まれていた。聞き馴染みのない、しかし親しみやすいフレーズがオレの体に溶けだして消えていく。周囲を見回すと、目を閉じる者、体を音に合わせて揺らす者、男の指先を目で追う者、様々だった。
信号が青になった。だめだ。オレは過去を振り払うように歩き出す。
風が吹き、ベースの音が止んだ。拍手。
指笛を鳴らすものまでいる。人々は完全に狂っている。オレはもうやめたんだ。ああはなりたくない。
車と街灯と電車と、光が揺れて、広がり、オレを射す。眩しさに顔を逸らして振り向くと路上ライブは近いような、いや、遠いような。
オレは前を向き、再び歩き出す。振り払ったはずの音色は頭の中をずっと侵し続けている。
これはいつ止むのだろうか。泣き出しそうになりながら家路へと急いだ。
大阪の夜はどこか甘い匂いがした。

淀屋橋にて

JR大阪駅の改札を出ると、大勢の人が地面を埋め尽くすかのように歩いていた。若い男女、サラリーマン、外国人。行き交う人々を横目に見る。皆、それぞれに違う格好をしていて、スーツの上にコートを羽織っていたり、短いスカートを穿いていたり、山に行く時みたいな帽子を被っている。
待ち合わせ場所のbookstudioの前を見るとまだ誰も来ていない。時計を見ると二時三十分を少し過ぎたところだった。約束は三時だ。オレは煙草を一本吸い、bookstudioに入って棚をしばらく物色し白痴を買った。
外に出ると伏見さんがスマートフォンを見ながら立っていた。
「お疲れ様です」
オレが声をかけると
「お疲れ様、ロッカーみたいな髪やな」と伏見さんはオレの頭を見て言った。
お疲れ様というのはオレたちのようなバイト仲間がアルバイト終わりなどに相手を労うために言う言葉だったが、今やおはようやこんにちはのような、一種の挨拶のようになっている。
「皆さん、まだ来てませんね」
「そやね、平野さん三十分くらい遅れるらしいで」
伏見さんはオレと同じ学年の二十歳だ。体格がよく、落ち着いた雰囲気の彼はそれ以上の年齢に見える。オレより先にアルバイトで働いていた彼にオレは敬語を使い、伏見さんと呼ぶ。
伏見さんはスマートフォンを着ていた灰色のダウンジャケットのポケットにしまうと、腹をさすり出した。
「どうしたんですか?」と俺が尋ねると
「いやさ、昼に食い過ぎて」
「何食べたんですか?」
「天津カレーチャーハン」
雑多な料理を言葉で混ぜ合わせたみたいだなと思っていると、歩行者の向こうから声が上がった。

淡い 5

電車に二人で乗って、しばらく揺られ、乗り換えてまた揺られる。その間、ふたりに会話はなかった。黙っていると、時間が止まっているような感覚がする。電車に乗れば体を動かさずとも目的地に着く。御田はそれが自分の老いを止めているように感じるのだ。このままずっと電車に乗っていると、御田は一生19歳のままだろう。
駅に着いて、向井と別れた。ひとりになり、また次の電車に乗り換える。御田は何度も乗り換えて家と大学とを行き来するのだ。御田の老いが再び止まる。
電車の中はそれほど混んでいなくて御田の前にはおじさんや大学生風のカップルが座っている。その奥には闇に浮かぶ、星空のような光が窓の中を流れていく。その光と車内の人達に視線を行ったり来たりさせながら、御田は向井のことをぼんやりと考えた。少し、酔っているかもしれない。
そこからまた、御田は向井と一緒に過ごすようになった。御田が喫煙所で煙草を吸っていると示し合わせたように向井が現れて隣で煙草を吸った。大学の校舎の端にある喫煙所はいつも人が多く、頭上には雲が降りてきたかのような靄ができた。御田と向井は「屋内に喫煙所が出来れば」とか「単位が取れない」とか「煙草やめないと」とか言い合った。
「煙って不思議だよね」向井が言った。「うん」「煙草の煙ならいつまででも見ていられる自信あるよ」各々の口から吐き出された煙を見た煙は姿を何度も変え、空気中を漂った。煙に形はない。決まった形がないからこそ、美しいものもあるのだ。隣を見ると向井が何度も煙を吐き出しては見ていた。冷たい冬に煙を吹きかけて温めようとしているみたいだと御田は思った。

淡い 4

一年生のとき、御田は他の友達と同じように、向井に必要以上に干渉しないようにしていた。大学にいるとき長い時間一緒にいたが、向井は御田の入っていないサークルに所属しているし御田の知らない友達が向井にはたくさんいる。向井が女の子だということもあったが、それよりも友達の距離感というものが御田の中では割と遠い。必要なときは自ら敬遠してきた‟女の子扱い”というやつもした。女の子が苦手でも御田は向井を女友達として見ていた。女として認識することで向井に距離を置いていた。そこから、恋愛に発展することは全く考えていなかった。そんな御田の考えが向井にも伝わったのか、一年生の夏終わり、向井に彼氏ができたことをきっかけにふたりはパタリと疎遠になった。

寒さが厳しく、夜が深々と頭を垂らしている。御田は十九歳で季節は冬だった。御田は友達と酒を飲んだ後、電車のホームを歩いている。夜風が体に触れると胸がドキリとした。隣には向井がいる。帰る道でばったり会ったのだ。向井も飲んだ帰りらしく顔が、ほんのりとピンク色をしている。別段、なにかあったわけではないのに御田は向井に気まずさに似たようなものを感じていた。「なんか、久しぶりだよね」向井が口を開いた。「そうだな」となんてこともないようなフリをして御田も返した。いつも酔っていれば誰とでもスラスラと話せるのに、口が絡まったように言葉が出ない。「御田とはよく一緒にいたのにね、こわいもんだね」「うん」「御田、どうしたの?酔ってる?」向井は笑っている。御田は確かに酔っぱらっていた。「でもさ、やっぱり向井に彼氏ができたのが大きかったよな」言ってから、しまったと御田は思った。「そうだよね」「彼氏とはうまくやってるの?」しかし、一度話題を見つけると滑ったように舌は回る。「それなんだけど、別れちゃったんだよね」向井はおどけたように言った。御田は彼氏の話題に触れたことを後悔しながらも、内心少しほっとしている自分に気づいた。