淡い 2

人間というのは不思議な生き物だ。相手のことを知り尽くしているわけではないのに、印象だけで物を言う。それが当たっていても外れていても言われた相手は喜んだり、悲しんだりする。見当違いでも、プラスなことを人に言うやつは気に入られる。御田もよく人に「御田ってモテそうだよな」と言われるが、御田自身はあまりモテない。しかし、そう言われると嬉しい。不思議だ。

向井は人を褒めることに関して、プロだ。御田が人の良いところを一つあげる内に向井は十個あげる。しかも、男女問わずフランクに接する向井はかなりモテた。褒めてくれて、周囲から認められていて、空気が読める人間は重宝される。それなのに向井が「私はコミュニケーションを取るのが下手だ」と言うから御田は怪訝な顔をした。「上手いじゃん」と御田が言うと、いつも「そんなことはない」の一点張りで認めようとしない。向井に言わせると「私は私に都合のいい人を選んでいるだけだ」という。それは人付き合いが上手いってことじゃないのかと御田は思う。

前述した通り、御田はモテない。どちらかと言えば昔から女子という存在が苦手だ。御田は決して、不潔な格好をしてる訳でも、とてもブスであるという訳でもなかった。これも前に述べた通り、「モテそうだよな」とは言われるのだ。しかし、この言葉はどうやら現にモテているやつには言われないようだ。

初めて女の子と付き合った時、御田は中学生だった。御田はウブだったのでその子とは手も繋ぐことなく別れてしまった。次の彼女は高校の時にできた。しかし、御田は好きだとかそういうことを言われるたびに皮膚の下がゾワッとするのを感じた。なんで、人は愛を伝えようとするんだろう。見えないものを言葉とか文字にしてあたかも見えるようにしてるだけではないのだろうか。結局は存在しないんじゃないのか。御田は身震いしながらその子と別れた。

 

淡い

透明のグラスのような空気の中に白い煙が上がるところを御田は黙って見ていた。御田の口から吐き出された煙はゆらゆら揺れたあと、冷たい風に流されて、冬の空気に染み込んだ。彼は見えなくなった煙を目で追い続けたが、そこには青い空が満ちているだけで空気は白くなったりはしない。しかし、御田はそこに煙草の煙がまだあることを信じていた。煙が見えなくとも、こうして空気と自分が煙を介して繋がっていると思うと御田は満足した。

御田が呆けた顔でいると、喫煙所に向井がやって来た。彼女は「授業はじまるよ、はやく」と言ってチョイチョイと手招きをする。向井は御田の同期の女の子だ。同期と言っても御田は子年の二十歳、向井は亥年の二十一歳だから歳は一つ上である。
授業に向かおうと御田が煙草の火を消して立ち上がると、向井の胸くらいの高さにあった御田の顔が向井の頭を通り越した。御田は身長が百八十センチ近くある。それに対して向井は百五十センチ後半だ。二人は二十センチほどの高低差の中で会話をするが御田は向井を小さいと思ったことはない。きっと、それは身長の大きさよりも存在の大きさが重要視されているからだ。

二人は大学一年生の時、スペイン語の授業で出会った。御田がスペイン語の教室を探してフラフラしている時に同じく漂っていたのが向井だった。向井は御田と知り合った時、授業の履修について教えた御田に「御田君って親切だよね」と言った。御田はそんなことはないと思ったが親切だと言われて悪い気はしなかったので、そのままにしておいた。当たり前のように生きていても親切だと思われることがあるようだ。それから御田は向井と長く一緒にいたが自分が親切だと思うことはなかった。