海に浮かぶ月
一人で入るお風呂に、前のバイトを辞めたときに貰ったクラゲをモチーフにしたおもちゃを浮かべると、心を見通せるような気がした。
時間は21時50分を回っていた。行こうと思っていたスーパーマーケットは22時に閉まる。
あぁ、今日も買い物に行けなかった。
お湯の温度を上げ過ぎて、何度も立ったり座ったりするけど、風呂場から出ようとは思わない。一人で我慢大会を続ける。
前の家にはなかったお風呂の窓から、ゆるゆると入り込んでくる涼しい風が私に現実っていうもののありがたみを伝えている。
暑いと、そうでもないの波を繰り返して寝ぼけているような気分になる。
体がまた、そうでもないになって、湯船に体を沈めた。頭がぼんやりとして、脳みそがじわじわと音を立てているような気がする。
所在なくなった右手が寂しいと言うので、右手を遊ばせてあげようとシリコンでできたクラゲのオモチャを沈める。
そういえばこのオモチャをくれた元バイト先の横井くんから連絡が来ていた。
「久しぶり。東京どう?」
クラゲのオモチャをくれたとき、横井くんは嬉しそうにオモチャの底の部分にあるボタンを押したら、クラゲが光るということを熱弁していた。
「そろそろ、慣れた?」
それと、横井くんは私のことを好きだと言っていた。
「山中さんがいなくなって、俺バイトが楽しくないんだ」
私はそんな横井くんの気持ちを知っていて、でも、何も言わなかった。
身体が限界を感じて、お風呂から上がった。
冷蔵庫から麦茶を取り出してペットボトルのままがぶ飲みする。結露するペットボトルの外側と内側の麦茶とは果たして同じ気持ちなんだろうか。
スマホの充電器のコードの長さに制限されて生きている。
あーぁ、横井くんと付き合っていたら、どうだっただろう。
横井くんは東京についてきてくれたかな。一緒に住んだりしていたのかな。家事がからっきしダメな私の世話を焼いてくれていただろうか。
布団に横になると、冷えた敷布団が優しくしてくれる。
私はその優しさに甘えて眠りに落ちた。
海の中にいるみたいだ。
真っ青な水の中に、綺麗で、かわいいクラゲたちがふよふよ浮かんでいる。
しかしクラゲを見てかわいいと思っても、私は彼らが生きているのか、死んでいるのかわからない。
愛情の伝え方がわからない。
クラゲも横井くんも同じだ。
私の中にふよふよと漂っているだけで、愛し方を教えてはくれない。
クラゲはこちらに表を向けたり、裏返ったりしている。クラゲの裏側は寂しい。
はたと、一匹のクラゲを見ると、傘になったところに横井くんの顔が映っていた。
横井くんは泣いていた。大泣きだ。鼻が赤い。泣かないでほしいと思ったが、口を開いても言葉はあぶくになるだけで、音にならない。
涙がはじけて、海の水に溶け出した。私は横井くんの涙が作った海に浮いている。
そうしていると、なんだか、彼の気持ちがわかるような気がした。
目が覚めた。
時計を見ると3時を過ぎたところだった。
ひどく喉が渇いている。
キッチンに行くと、さっき飲んだときに麦茶のペットボトルを出しっ放しにしてしまっていたことに気がついた。
一口飲んで、ペットボトルを見ると結露の一粒一粒が大きくなっている。
まるで、無数のクラゲが流した涙みたいだと思って私はそれをいつまでも眺めていた。