淡い

透明のグラスのような空気の中に白い煙が上がるところを御田は黙って見ていた。御田の口から吐き出された煙はゆらゆら揺れたあと、冷たい風に流されて、冬の空気に染み込んだ。彼は見えなくなった煙を目で追い続けたが、そこには青い空が満ちているだけで空気は白くなったりはしない。しかし、御田はそこに煙草の煙がまだあることを信じていた。煙が見えなくとも、こうして空気と自分が煙を介して繋がっていると思うと御田は満足した。

御田が呆けた顔でいると、喫煙所に向井がやって来た。彼女は「授業はじまるよ、はやく」と言ってチョイチョイと手招きをする。向井は御田の同期の女の子だ。同期と言っても御田は子年の二十歳、向井は亥年の二十一歳だから歳は一つ上である。
授業に向かおうと御田が煙草の火を消して立ち上がると、向井の胸くらいの高さにあった御田の顔が向井の頭を通り越した。御田は身長が百八十センチ近くある。それに対して向井は百五十センチ後半だ。二人は二十センチほどの高低差の中で会話をするが御田は向井を小さいと思ったことはない。きっと、それは身長の大きさよりも存在の大きさが重要視されているからだ。

二人は大学一年生の時、スペイン語の授業で出会った。御田がスペイン語の教室を探してフラフラしている時に同じく漂っていたのが向井だった。向井は御田と知り合った時、授業の履修について教えた御田に「御田君って親切だよね」と言った。御田はそんなことはないと思ったが親切だと言われて悪い気はしなかったので、そのままにしておいた。当たり前のように生きていても親切だと思われることがあるようだ。それから御田は向井と長く一緒にいたが自分が親切だと思うことはなかった。