この気持ちに慣れるまで

コンタクトを取って、ゴミ箱へ捨てる。瞼から覗く視界の半分はぼやけていて、もう半分は何も持っていない自分が映りこんでいる。死にたいなと思う。死にたい。死にたいと思っていることを誰にも言えない。もう片方も取って眼鏡をかける。死にたいという気持ちは消え失せる。さっきまで左目の上に乗っかっていた薄い膜を指先の間でこねくり回す。生きたい?涙が出る。雨が降るみたいに涙が出て、それでおわり。

さよならを照らす光

郷愁の道に揺れる白波

言葉は染みを作って

身体に地図を広げる

 

色は孤独で儚い

知ってたはずの寂しさを

あなたは私に握らせた

これは惜別

これは恋慕

いつか、いつかね、覚えてる?

あなたの車に乗って

海岸線を指でなぞるみたいに

旅したこと

 

水平線へ向かう日を追いかけて

早く走ってとせがむ私に

あなたは言った

夕陽は暮れるためじゃなくて

誰かのその日の最後を

照らすために生まれてきたんだ

 

頭の中にあなたの声を

蘇らせようとしても

もう、あなたは囁いてはくれない

あなたに出会った私も

もう、ここにはない

それでも私は覚えてる

あなたの頬に落ちる一日を

知らない人の夢

私は孤独の中で歌をうたい

駅のホームで涙を流す

誰もいない。ここには誰もいない

希望の中に住むことができない小さな羽虫

この身を温める灯火ですら、私を理解しない

触れただけでパチリと消えてしまうことも貴方は知らない

生温い愛ならいらない、それよりも

手をかけたのなら早く絞め殺してほしい

伸び切った爪が食い込んで痛いだけ

言葉が喉につっかえて苦しいだけ

高校の時の友達、あれ、名前なんてったっけ、たしか苗字に「山」って字がついとったと思うねんけど。あかんな。かなり長いこと一緒におったのに、忘れてまうなんてな。まぁ、十年以上前の友達のことやから、堪忍な。

そいつと、その「山」くんと、よく海でキャッチボールしとってん。俺ら、同じ部活やってんけど、部活の他の奴らとそりが合わんくて、高二の夏に一緒に部活辞めて、もうずーっとキャッチボール。いや、野球部ちゃうよバスケ部。

砂浜でボール投げ合ってんねんけど、投げるときに踏ん張りは利かへんわ、ボールが海に落ちそうになるわで、よう考えたらなんで海でキャッチボールなんかしとったんか、アホやなぁって思うけど、でもほんま楽しかったことだけは覚えてる。ボール投げて、それがまた返ってくるだけでおもろいねん。俺、投げ返しながらゲラゲラ笑っとったわ。意味わからんやろ?笑うからコントロールがブレブレになって全然ちゃうほうに飛んで、それ見てまた笑った。

ほんま、今になって考えたら理解できへんねんけど、ずっと海におったな。ボールを投げんのに飽きたらキャッチボールの距離感のまんま砂浜に座って海を見たりしてな、なにも言わんけど広いなぁとか、綺麗やなぁって話してるみたいやった。朝から晩まで海岸におるもんやから髪の毛から足のつま先まで海の砂だらけんなって。なんでこんなとこから出てくんの?ってとこから砂が出てきて、おかんに見つからんようにこっそり洗濯かごの一番下に押し込んでた。悪いことしたな。

そうそう、キャッチボールの話に戻ってアレやねんけど、俺もあいつも、どんなボールでも捕れるねん。どんだけ変な方に飛んでいっても、同じ分量ずつだけお互いのことをわかっとって、相手が投げる前にどこへ飛んでくるかの見当がついてて、たまにヘッドスライディングしたりしてな、そりゃもう大変よ。

なんか、話してたらあのときの感覚を思い出してきたわ。精一杯からだを揺すって、陽が落ちた暗闇ん中に砂を払い落として。全然落ちへんねんけど不思議と嫌な感じはせえへんねん。おかんに怒られるんは嫌やったけど。

二人並んで目と鼻の先やけどチャリンコで家に帰るねん。はたを見たら港町の、車道の広い商店街があって。さびれてるけど、クリスマスツリーに巻き付いてるのをでっかくしたみたいなライトが軒先にぶら下がってて見た目だけは賑やかやった。

潮騒が後ろ側で遠ざかっていく。見上げると驚くほどまん丸で、この夜で一番大きな光が俺とあいつを引っ張ってた。でも、俺ら全然寂しくなかった。それはあいつも同じやった。わかるねん、うん。

 

ここに書くことちゃうんかもやけど

あれからどれくらいの日々が過ぎた

「人生は旅だ」......そんなのは嘘だ。

俺は何処にも行けないじゃないか

流れるベルトコンベアの上で

日々を滑らせ運んで行くよ

部品を作る部品になった

身近で容易い欲に溺れた

 

なぁ、あれからどれくらいの日々が過ぎた?

俺は朝4時に起きて会社に行ったり、酒も飲んでないのに終電乗って家へ帰る日もある。

仕事をして、一歩ずつ「普通」や「一般」を受け入れて、思い描いた自分から離れていくことを良いことだと思うようになった。

東京に出ることは夢を追うことやと、誰かが言ってて、あの日俺もそう思っててんけど、それはちゃうかったな、夢を叶えた人間を身近に感じて、その差を受け入れて。東京は背負った夢の荷物を床に下ろす場所やった。

東京の光は、それを追いきれなかった人たちの夢でできてて、それがプチプチと光って、朝になったら消えてーーーーーー。

 

いや、ごめん、全然嘘。

めっちゃ夢を諦める人の感じ出してたけど全然嘘。

全然諦めてないし、まだパソコンにかじりついて「俺には才能がないんやー」って言ってる。だから、まだ俺は書ける。

 

昨日、寝るときに考えた。俺はあんたの特別やったんかなって、俺はあんたに何をしたんやろうなって。たぶん、特別とは違くて、でも心の中にあのとき、はずっとあって、いろんなことを忘れていっても、それだけはずっとそこに置いてあって、そうやってこれからも生きていければいいかなって。

 

俺は気恥ずかしくて、いつまでも子供で、自分の言葉もままならへん、こんなんで作家になりたいだなんて、おこがましい人間やねんけど、もしかしたらもうあんたが聴いてない、もう聴きたくないかもしらん歌の歌詞を借りて、いつまでも実直な言葉なんて吐けない、何の現実とも向き合えない、言葉を尽くして自分を卑下することに優越感を抱く最低な人間やねんけど、それでもいいかなって、どんなんでもいいかもなって。

 

これは深夜テンションをぐつぐつ煮込んでできた早朝テンションやねんけど、俺は朝が怖くなくなった。夜寝てその日を終わらせることが怖くなくなったよ。今もなんとしっかり寝て起きてこれを書いている。だから今はもう、一日のはじまり。

あのときが終わることが怖くなくなったよ。

いや、何年経ってんねんてな、どれくらいの日々が過ぎた?ちゃうねん。でも、毎日でも想ってやまへん。

 

あんたとのことを思い出すと俺はなぜか、俺の実家のマンションのベランダから見える景色を思い出す。それはきっとたまに帰った実家で、夜、こっそりとベランダに出て、煙草を吸いながらあんたと電話したからやろう。あのときは俺の家族関係はあまりよくなくて、まぁ、今もそんないい方ちゃうけど、とにかく家族の寝る実家が俺の家というより親の家、という感じがして、余計に居心地がよくなかった。ここに我が物顔で居座るのはどうも違う気がした。俺は外に出て、外の繋がりを大切にしたかった。

都会かと言われれば全然違う、でも、あんたの地元みたいに、山とか、透き通るほど仲のよい友達関係とか、夜に任せ自転車をふらつかせて行ける楽しい場所もない。ただ、田んぼとため池の向こうに海が見えて、瀬戸内海に当たり前の顔をして淡路島が寝そべっているだけ。夜の下にそれらがしんと静まり返っていて、視線を動かすとたまに、きらびやかでない、誰かの存在を示すだけのライトが、小さな声でここにおるでと主張している。

そんななかで俺も、家族が起きへん程度の小さい声で電話の向こうのあんたに「ここにおるで」って言っててんな。そうさせてくれてありがとうと言わして。

 

空が白みだして、俺の部屋の窓からは空とか景色とかがちゃんと見えるわけじゃなく、向かいの家が見えます。こっちに来たときに急ごしらえで買った、百均で二枚五百円のカーテンはそのまま俺の部屋の窓にかかってて、それは薄すぎて、夜は向かいの家族と窓越しに目が合わないか不安になります。体を起こして改めて見るとその向かいの家の屋根の向こうに小さく空が見えます。あのころは家事なんもできんかった俺も、今日は天気がええから洗濯をしようと考えるようになったんよ。部屋干しやけど。

 

あんたの為に書いてた文章はもうおしまいで、あんたの目を通して見たいと思ってた世界を、やっと、俺は俺の目で見るよ。だから安心して、なんも心配なんかしてないかもやけど、とにかく安心して。大丈夫。俺は、俺たちは無敵で、それだけは変わらず、ずっとあの頃のまま。

 

秋めいて、ゆるゆるの涼しさが、すとんと本調子の寒さになるから薄い布団はかぶって寝てください。泣いても涙が落ちるのに従って心まで真下に落とさないように気を付けてください。

 

おめでとう!まだ早いんかもやけど、それでもおめでとう!

 

おわり

さよならも言えずに

春は春を待たず、君の生き死にを待って
窓から零れ落ちる光と風に揺らめくカーテンを
ほら、幕開だと言って、無情に無邪気に

君は春に呑まれ、
春は夏に呑まれ、
夏は老い秋になって、
冬はその死骸

春は慣性となって、重力となって
その進む向きに世界は引き延ばされてゆく
自己中なスポットライト 無自覚うるさい

君は春に呑まれ、
桜の下に埋まり、
まばたき、もできぬうちに
君は帰ってこない

窓から吹き込む春と共に
またたき、
君はどこかへ

誰かの望んだ点線

僕とあの子の答えは音楽とMVのなかにあるように思えた。

 

僕と君の答えは小説と映画のなかにあるように思えた。

 

僕らの答えは詩と短歌のなかにあるように思えた。

 

僕とあの子の答えは絵と写真のなかにあるように思えた。

 

それらは間違いであるように思えた。それらはフィクションであり、実線ではないわけだ。

しかし音楽のなかの、MVのなかの、小説のなかの、映画のなかの、詩のなかの、短歌のなかの、絵のなかの、写真のなかの、君は言う。

フィクションでもいいじゃない。誰かの望んだ点線だよ。